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うつ克服カウンセラーの椎名優介です。
自己紹介動画
まずは自己紹介動画(6分30秒)をご覧ください。
詳しいプロフィール
1970年 三重県生まれ
1982年頃 小学5~6年頃、いじめにあう
1984年頃 中学2年~高校1年、父親の転勤に伴い転校。学校に馴染めず、人間関係の悩みが深くなる
1989年 筑波大学(心理学)へ進学
1993年 子供のころからプログラミングが好きだったため、大手システム会社へ入社
2006年 1回目の休職
2011年 2回目の休職
2013年 3回目の休職
しかし、復職拒否され、退職。心理療法と出会い、劇的に変化。
現在 うつを完全に克服し、カウンセリングルーム「メンタルアップ」を主宰。
産業カウンセラー/米国NLP協会トレーナーアソシエート
/山口修喜氏によるトラウマセラピートレーニング修了
幼少期~学生時代
理不尽な仲間外れ、嫌がらせ、無視・・・
1970年、三重県生まれ。
ごく普通のサラリーマン家庭で
育ちました。
父親は転勤が多く、
小学校に上がる前までに
愛知県内を転々としました。
このころから、
友達とはいつかは離れるんだという感覚
が芽生えてきたような気がします。
引っ込み思案で敏感、内気。
プログラミングや裁縫、
プラモデルなどのモノ作りが好きで、
自分の殻に閉じこもりがち。
そんな子供でした。
小学5~6年頃、
仲の良かったグループから突然、
理由なく仲間はずれにされ、
嫌がらせや無視などをされました。
「何かしたのかな・・・」
「なんでいきなりこんな目に・・・」
「もういやだ・・・」
「早く小学校を卒業したい・・・」
学校に馴染めずいつもひとりぼっち
中学2年のときに、父親の転勤に伴い、
愛知県に転校しました。
そこでは、
友人がほとんど出来ず、
学校に馴染めませんでした。
休み時間、昼食、放課後。
いつも一人でした。
「気楽だから独りでいるんだ」
「独りでいても寂しくない」
本当の気持ちは悟られないように
平気なふりをして過ごしていました。
「学校行きたくないな・・・」
「でも行かなきゃ・・・」
「大学に行けば自由になれる・・・」
決まった時間、決まった場所に
決まった人たちと一緒にいるということが
こんなに辛いなんて、
「こんなんでこの先、
生きていけるんだろうか…」
と自信もなく不安でした。
「とにかく人間関係を
楽にしたい・・・」
そんな思いで筑波大学(心理学)
に進学しました。
心理学を志したものの、挫折
「これで人間関係を楽にしたい!」
「将来的にはカウンセラーになろう!」
期待に胸を膨らませて大学生活が
始まりました。
しかし・・・
学問としての心理学は
漠然と期待していたものとは
かけ離れていました。
「日常生活に役に立たない・・・」
「実際にどう人生に生かしていけば
いいのか全く分からない・・・」
「何のためにここに来たのか・・・」
徐々に心理学への興味が
薄れていきました。
大手システム会社へ就職、うつ病に
劣悪な労働環境
1993年、
子どもの頃からプログラミングが
大好きだったため、
大手システム会社へ入社しました。
企業からの依頼を受けて、
システムを開発する仕事です。
コツコツと作り上げるプログラミングは
とても楽しかったです。
しかし、
配属先に馴染めませんでした・・・
先輩や上司から見えない線
を引かれているような感覚があり、
ほとんど雑談もせず、
歓送迎会以外で
飲みに行くこともありませんでした。
また、
月100時間を超える残業が当たり前
の厳しい労働環境でした。
定時で帰ろうとすると
周囲の目が厳しく、
「暇」とみなされ仕事量が増える。
「この職場何かおかしい気がする・・・」
「でもこんなもんなのかな・・・」
担当していた工場は
24時間365日稼働しているので
深夜3時、4時でも呼び出される。
そんな生活が続きました。
配属直後から4年間、
毎月の残業時間は100~150時間でした。
100時間を下回る月は
1回もありませんでした。
居場所がない職場でのハードワーク。
心身ともに限界でした。
「もうダメだ・・・」
「何であの先輩は
こんなに冷たいんだ・・・」
「もう限界だ・・・」
しかし、
会社を辞めるという選択肢は
私の頭にはありませんでした。
うつ病に向かって落ちていく
プログラマーからリーダー、
そしてマネージャーへと役割が
変わっていきました。
もともとプログラミングが好きで
入った会社でしたが、
徐々にプログラミングから遠のいて
いきました。
そして、
2004年、プロジェクトマネージャに
任命されました。
抜擢とも言える出来事だったのですが、
嫌で嫌で仕方なかったです。
「人間関係でもみくちゃに
なるのは嫌だ・・・」
「プログラム作りたくて
入社したのになんで・・・」
「リーダーは苦手。
仕切るより黙々と作業
したいのに・・・」
心の中は不平不満が
渦巻いていました・・・
そして始まってみると、
プロジェクトマネージャ(PM)は
想像以上の激務でした。
お客様からの厳しい要求が
矢のように刺さります。
「プロだということを
証明しろ!」
「仕事のやり方を抜本的に
見直す提案をしろ!」
「ただし、
現場が反対しないような提案を!」
矛盾だらけの無茶苦茶な要求を
毎週の定例会議で突き付けられ、
でも、
言い返すことが出来ず
抱え込まざるを得なくなる・・・
自社に持ち帰ると、
「お前がPMなんだから、
お前が何とかしろ。
それがお前の仕事だ」
経験のある社員をプロジェクトに
入れてもらうよう、上司に頼んでも
「人がいない」
というばかりで
何もしてくれない・・・
プロジェクトルームに戻ると
年上のメンバーから
「こんなスケジュールじゃ無理でしょ」
「ちゃんと交渉してくださいよ」
と突き上げられる。
※プロジェクトでは私が最年少でした。
居場所なんて
どこにも
ありませんでした。
「辛い・・・」
3か月が過ぎたころ、
「もうダメだ・・・」
「逃げたい・・・」
「消えたい・・・」
「嫌だ・・・
嫌だ・・・
嫌だ・・・・」
悪循環にはまっていました。
そんなある日。
「おい、椎名。
お前何て顔してんだ・・・!」
偶然、地下鉄銀座駅のホームで
親友の同期とばったり会い、
声をかけられたのです。
目は虚ろで
思いつめた表情をしていたようです。
後から聞くと、
「飛び込むんじゃないか」
と思ったらしい。
そんな変わり果てた姿だったようです。
そして、
その数日後。
朝、JR新宿駅のホームで
泣きながら
立ち尽くしていました・・・
ついに、
PMでありながら、
クライアント先に行けなく
なってしまったのです・・・
しかし、
こんな状態になっていても、
自分がうつ病だとは思っていませんでした。
今と違って、
うつ病は特別な人がなるもの、という
偏見を持っていました。
そんな時、
妻と書店に行って心理系の棚を
見ていた時、
『ツレがうつになりまして。』
という本が目に入りました。
読み進めるうちに
涙が止まらなくなりました。
「うつ病って特別なことじゃ
ないんだ・・・」
「精神科を受診しても
いいんだ・・・」
この本がきっかけとなって、
勇気を振り絞って
精神科、心療内科を受診し、
うつ病と診断され、
始めて休職しました。
2006年 1回目の休職
何でこんな目に合わなければならないんだ
心療内科に通院し、
投薬治療が始まりました。
通院は大仕事でした。
なぜなら、
本当に動けないからです・・・
寝返りもまともにできない。
指一本、思うように動かせない。
重力が何倍にもなっていて、
体が床に張り付いて動けない。
涙を流しながら、
ただひたすら床に転がっている。
太陽が昇り、
高くなり、
傾き、
夕暮れになり。
その間、ずっと。
ただ床に転がって
太陽の光が移ろっていくのを
感じていました。
「今日もただ、
寝てただけ・・・」
「いつまで続くのか・・・」
「何でこんなことに
なったんだろう・・・」
こんなことを、
ぼんやりした頭で
感じていました。
1ヶ月、2カ月経つと、
徐々に動けるようになってきました。
日常生活ができるようになり、
少しずつ外出もできるように
なってきました。
3ヶ月経ち、
「そろそろ復職しないと・・・」
という気持ちが出てきました。
何となく焦っていたのかも
しれません。
順調に事が運び、
復職の日程が決まりました。
不安と恐怖で震えた、復職初日
2007年1月30日。
復職初日。
元の職場です。
「途中で投げ出して、
迷惑かけちゃったな・・・」
「何て言われるだろう・・・」
「受け入れてもらえるん
だろうか・・・」
「どんな顔して
戻ればいいのか・・・」
不安と恐怖でいっぱいでした。
会社のビルにすぐには入れず、
ビルの周りをこそこそと
何周か回ってから、
人目を避けるようにして
入っていきました。
執務室に入る時が
緊張と不安のピークでした。
ガタガタ震えながら
恐る恐る入っていきました。
まず、直属の上司のところへ。
「ご迷惑おかけしました。
これからよろしくお願いいたします・・・」
すると、
「気にするな。
無理しないようにな。」
と優しく言われ、
泣けてきました・・・
その後、
迷惑をかけた人たちのところに
挨拶まわりをして、
何とか初日を終えました。
当時の手帳を見てみると、
波があることがよく分かります。
【1週目】
時々胸がざわざわするものの
概ね良い状態。
【2週目】
前半は良かったけど、
後半はぐったりして帰宅後寝込む
【3週目】
ぐったり→調子良い、を繰り返すが、
ついに1日、欠勤
【4週目】
波がありつつも、何とか休まず
【5週目】
調子良い
【6週目】
週の後半、だるさ、おっくう、
ざわざわが出て1日欠勤
こんな感じで一進一退。
波は何度も繰り返し
襲ってきました。
恫喝、怒鳴り声を聞き続け、ふたたび病んでいく
復職から半年が経過し、
何とか少し落ち着いてきたところで、
とうとう、
プロジェクトに入ることになりました。
役割は、
プロジェクトマネージャの補佐。
ただ、そのプロジェクトの
プロジェクトマネージャ(PM)は
何かと問題が多く、
PMとチームリーダーの間に立って
プロジェクトを円滑に進めるのが
期待された役割でした。
プロジェクトチームの雰囲気は
最悪でした。
「お前ら、俺のプロジェクトを
壊す気か!」
「問題出したら許さないからな!」
「やれる計画を出せ!」
「お前らの落ち度だ。
費用は一切出さんからな!」
恫喝ともとれる
激しい言葉遣いで
連日、
PMはリーダーを
怒鳴り続けていました。
怒鳴り声は
聞きたくなくても
聞こえてきます。
そして、
自分が怒鳴られている
訳ではなくても、
とても辛くなり、
いたたまれない日々でした。
敏感なタイプの私には
とても辛い環境でしたが、
PM補佐の役割を果たすため、
PMの真意を確かめたり、
リーダーの事情を聞いて
どうすればまともに運営できるのか、
心を砕いて奔走しました。
そして・・・
あっという間に体調を崩し、
休みがちになってしまいました・・・
すっかり自信を失って
そのプロジェクトを去りました。
「俺、もうダメだ・・・」
それから1年くらいは、
社内での仕事をしていました。
そして、
再び大きな仕事に
入ることになりました。
「プロジェクトは怖い・・・」
「絶対、嫌だ・・・」
「俺に出来るわけがない・・・」
本当に怖くて嫌だったのですが、
サラリーマンである以上、
仕方ありません。
チームリーダーとして
2年がかりの大きなプロジェクトでしたが、
何とか完走することができました。
やり遂げることができた要因は
たくさんあります。
例えば、
・お客様との関係が良かった
・部下に恵まれた
などです。
もちろん、
困難で辛い場面はいくつもありました。
「もうダメかもしれない・・・」
ということも1度や2度では
ありませんでした。
しかし、
周囲の人間関係に助けられて
役割をまっとうすることができました。
プロジェクトの後半に入ると、
私がPMとして仕切っていました。
この仕事は大きな自信になりました。
「やっていけるかもしれない」
そう、思えました。
そして、
次のプロジェクトが始まりました。
熱烈な指名を受けて
プロジェクトに入りました。
「この仕事もやり遂げる!」
そう意気込んだのですが・・・
難しいお客様でだんだん疲弊し、
自信も失い、休みがちになり・・・
そしてとうとう・・・
復職から4年目で、
ずっと恐れていた
うつ病が再発しました。
2011年 2回目の休職
職場が怖い・・・長引く休職期間
2011年1月に再発し、
2回目のうつ休職をしました(7ヶ月)。
投薬と休養で、
体調はかなり早く回復したのですが、
休職期間は長くなってしまいました。
保健師の面談で
「今後のキャリアプランの
イメージを考えるように」
と指示されて
その後しばらく倦怠感で
動けなくなるなど、
元の会社に戻ることへの恐怖心が
強くなっていました。
「戻らなきゃ・・・」
「でも自信ない・・・」
「でもそんなこと言ってる場合じゃ
ないだろう・・・」
「もうシステムの仕事は嫌だ・・・」
「でもやりたい事なんてないし、
転職なんて考えられない・・・」
この悪循環が休職期間を
引き延ばしたんだと思います。
結局、
元の職場に復職するという、
慣れ親しんだレールに戻りました。
仕事が与えられない辛さ
2011年8月、2回目の復職を
果たしました。
復職初日。
やはり恐怖心でいっぱいでした。
「あいつまた戻ってきたぜ、って
言われないか・・・」
「2回目だし、無視されるかな・・・」
「怖い、怖い・・・」
復職はとても怖かった。
2回目になると、さすがに周りの目も
温かくはなく、
引き取り手がおらず、
社内失業状態に陥りました・・・
それはそうです。
分かります。
使えるのかどうか分からない、
また休んでしまうかもしれない
人間を使うはずがありません。
大した仕事はなく、
居場所が見つかりませんでした。
「仕事もせずに給料もらってるん
だから、
辛そうにするのは甘え」
「忙しいふりをしないと・・・」
「グループで仕事してないの、
俺一人だけだ・・・」
「週1回の定例ミーティングが
居心地悪くて辛い・・・」
1年ほど辛い気持ちを
抱えながら過ごした後、
2013年1月、
プロジェクトへの参加が決まりました。
人手不足の中、再び、
PM補佐の立場で参加しました。
「もうお前は終わったな」
ここで、入社以来、
最大の衝撃を受けました。
補佐するPMは、
なんと、
彼女が新人の頃、
私が指導をしていた
後輩だったのです・・・
「随分成長したんだな・・・」
と感心しながらも、
今の自分の状況は
あまりに情けない・・・
「もうお前は終わったな」
「お前は用済みだよ」
「いつまで恥さらしてるんだよ」
「さっさと辞めろよ」
こんな過酷な言葉が頭の中で
ぐるぐるまわり続けていました。
しかし、
仕事は仕事。
やらなければなりません。
「切り替えて、精いっぱい、
やろう。」
プロジェクト全体を見て
こぼれているタスクを拾い上げて
担当を割り振ったり、
リーダー不在のチームを統率したり。
慌ただしい日々を過ごしました。
しかし・・・
業務負荷が過大となり、
大きなイベントをやり遂げた後、
燃え尽きてしまいました。
出社できなくなり、
そして、
復職から2年目。
疲労感、倦怠感が出現するようになり、
休みがちになりました。
2013年 3回目の休職
ついに、精神科へ入院
2013年6月より
3回目の休職となりました。
主治医と産業医とで見立てが異なり、
主治医は適応障害、
産業医は抑うつ状態。
折り合いがつかず、
結局、産業医が勤務する
病院へ転院しました。
新しい主治医は
産業医の部下でした。
倦怠感もあり、また、
さまざまな理由から
3ヶ月入院することになりました。
心身はかなり早く回復しましたが、
力強さはなく、
また、
将来への不安が強かったので、
病院併設の心理相談室にて
カウンセリングを受けることに
なりました。
ロールシャッハ、
バウム、
SCTといった
心理検査を受けました。
とにかく自己評価が低いことが
繰り返し指摘されました。
そして、
話を聴くスタイルのカウンセリングが
始まりました。
しかし、
話を聴くだけで具体的なアドバイスは
ありませんでした。
「変わりたい」
という気持ちが空回りし、
だんだんモチベーションが下がり、
結局、12回受けたところで止めました。
癒しではなく変化が必要なタイミング
だったのかもしれません。
3ヶ月経ち、退院しました。
津波のように襲ってくる圧倒的なネガティブ感情
しかしそこから半年くらい
絶望感、落ち込みが酷くて、
あまりよく覚えていません。
自分が自分でない、というか。
いろいろな事が重なって
生活リズムも乱れ、
倦怠感や胸のざわざわ、
圧倒的な将来への不安・・・・
どうしようもなかったです。
ネガティブ感情は津波のように
襲ってきました。
繰り返し、繰り返し。
これでもか、これでもか。
これでもか、これでもか。
これでもか、これでもか。
・・・
落ちるところまで落ちたある日。
その日を境に流れが変わりました。
デトックスか何かのように、
上から下から・・・
解毒しているかのように
吐く、下す・・・
1ヶ月くらい苦しむと
ピタッと止まり、
徐々に生活リズムを立て直し、
日常生活、外出も出来るように
なりました。
ただ、
働くことに対する恐怖心
や、
いまだに働くことも
できない絶望感
は、ずっとありました。
会社は復職を拒否
休職期間の満了が見えてきたとき、
会社の保健師から連絡がありました。
「一度、面談しませんか」
会社には怖くて行けなかったので、
有楽町の喫茶店で面談をしました。
親身に、優しく、
でも、
しっかりと現実を伝えてくれました。
退職という決断は、
復職して落ち着いてからでも
遅くないですよ、
とアドバイスされ、
何度か面談をする中で、
徐々に復職に向けて覚悟が
固まってきました。
「復職します」
そう、復職の意向を
伝えることができました。
「復職をしてから、
これからの人生の事を考えよう」
そう思っていました。
しかし、
もはや
会社の中に受け入れてくれる組織は
ありませんでした。
元の職場から受け入れを拒否され、
行くところがなくなってしまいました。
そして、
人事からは、早期退職制度の利用を
やんわりと勧められました。
「そりゃそうだよな・・・」
「こんな人間、受け入れてくれる
ところなんか、
もう、ないよな・・・」
「もういい。分かった。
辞めよう・・・」
こうして、
放り出される形で
退職しました。
最初の休職から10年が経っていました。
「もうまともに働けないのでは
ないか・・・」
「この先、
どうすればいいのか・・・」
「あの時、俺をPMにした
あいつが憎い・・・」
「受け入れ拒否した
あいつが許せない・・・」
「会社が憎い・・・」
「人生めちゃくちゃに
しやがって・・・」
絶望と憎しみが
渦巻いていました。
心理療法と出会い、復活へ
こんなに美しい世界に生きていたなんて・・・
やりたいこともなく、
先が見えずもがいていました。
沢山のセミナーに参加しました。
ビジネススキル、
ファシリテーション、
コミュニケーション・・・
色々なセミナーに参加するうちに
これまでとは違うタイプの
人たちと出会い、
「楽しみながら仕事をしている人が
当たり前のようにいる!」
と衝撃を受けました。
全く知らない世界が広がっていたのです。
そんななか、
ついに。
人生を激変させる心理療法と出会います。
とにかく働かなくては、という
切羽詰まった状態で転職活動を
開始したところでした。
しかし、
メンタルに力強さが感じられず、
再発の不安に怯えていました。
そんな状況で出会ったので、
とにかく必死に学びました。
そして、
学んだことをありとあらゆる場面で試し、
自分なりにアレンジしながら
必死に実践を繰り返しました。
ある日、
近所を散歩しているとき。
木の葉の緑、
明るく、高い空、
流れる雲、
手の甲をなでるそよ風、
足の裏の土の感覚・・・
それまで感じた事がない世界が
目の前に広がっていたのです。
「この世界はなんて美しいんだ・・・」
「今までこんな美しい世界に
生きていたのか・・・」
「一体、何を見ていたんだ・・・」
涙が止まりませんでした。
世界が一変した瞬間でした。
そこからますますのめり込み、
2週間ほど経つと、
自信を感じるまでに
なりました。
「たぶん出来ると思う」
「根拠はないけど、
何となく大丈夫な気がする」
今までに感じた事のない、
晴れやかな感覚。
そして、
転職活動では書類さえ通れば
落ちる気がしませんでした。
自信を持って面接に臨み、
実に、勝率9割でした。
メンタルにはっきりとした
自信が芽生えてきました。
過去を清算する
とにかく働かなければ、
という状況だったので
やりたい事ではなく、
やれる事で会社を選び、
システム会社への
転職に成功しました。
そこでは、
前職を超えるレベルの
プレッシャーのなか
プロジェクトマネージャを
やり切ることが出来ました。
もちろん、
しんどい局面、
つらい状況はありました。
しかし、
学んだスキルを毎日のように使って
乗り越えてきました。
そして、やりきったとき。
「メンタルはもう大丈夫!」
と確信しました。
もう、仕事は怖く
なくなりました。
そして、現在
人生の意味
仕事をしながら、
心理学、心理療法の学びを
更に深めていきました。
そして、
川岸を歩いているときに、
カウンセラーになって、
少し前の自分のように
悩み苦しんでいる人を
サポートする
という天命・使命を身体で感じ、
涙が出ました。
「やっぱり、
そうだったのか・・・」
振り返れば、
10代のころ、
人間関係に悩んで心理学科に進みました。
しかし、
カウンセラーは目指さず、
システム開発の道に進みました。
そして、
10年以上にわたってメンタル不調を
経験し、どん底まで落ちました。
そして、
そこから心理療法を学んでうつを克服し、
そして今、
メンタル不調に苦しむ人のサポートを
したいと心底思えるまでになりました。
紆余曲折ありましたが、
自分本来の道に引き戻される。
そんな感覚がありました。
そして、
初めて自分の人生が一つに
つながり、
自分の人生に意味を
見いだせた瞬間でした。
復職を拒否してくれた会社への感謝
そして、
あれ程憎しみを覚えていた
会社に対して、
感謝の念が溢れてきました。
あの時、
私を放り出してくれたから、
今、私は、自分の道に戻ることが
できました。
ありがとうございました。
今では会社に対して、
心の底から感謝しています。
支えてくれた妻がうつ病に
その後、
これまでずっと
支え続けてくれた妻が
職場のパワハラでうつ病になって
しまいました。
この時、
今まで自分がどれだけ
大変な思いを妻にさせて
いたのか・・・
うつ病の家族を抱える辛さ。
身をもって感じました。
学んだ知識、技術、
サポートしてくれる知人。
あらゆるものを助けにして、
妻をサポートしてきました。
そしてようやく、
妻も自分の道へ戻ろうと
しています。
カウンセリングルーム『メンタルアップ』を主宰
そして、現在。
うつ、
職場の人間関係で悩む人や、
うつの家族を支える人のための
カウンセリングルーム
『メンタルアップ』を主宰。
従来のカウンセリングの効果に
疑問を感じており、
最新の心理療法と
自身の克服経験を組み合わせた、
短期間で結果が出る
オリジナルメソッドを提供しています。
「これまでも何十回も変わろうとして変われなかった。けれど、少しずつ自分の考え方に意識を向けられるようになった今、これからはきっと大丈夫と思えるようになった」(20代・女性)
「色々な話をすることで気持ちが軽くなりました。ただ話を聴くだけではないのが良いと思います。ありがとうございました。」(30代・女性)
「先に進んでいけるんだ、改善策があるんだと実感しました。希望が見えたことで、今、とてもワクワクしています。」(40代・女性)
「安心感を感じました。いただいたアドバイスを『やってみようかな』という気持ちになっています。ありがとうございます。」(30代・男性)
「資料を使って、うつの仕組み~支えるポイントを詳しく説明していただきましたが、その内容がとてもしっくりきました。希望が持てました。」(20代・男性)
「具体的な方法がある、ということを知りました。これまでは、どうしていいのか分からなかったのですが、その状態から一歩、抜け出せたように思います。」(30代・女性)
お客様からこのような声を
多数、お寄せいただいています。
失った自信を取り戻し、
自分だけの、
自分なりの人生を、
生きる。
そういう人を一人でも増やしたい。
この強い思いで日々、サポートを
させていただいております。